#017 パス&リード PART2


 #004、なんだか静かな反響がありました。メールで感想もいただきましたし、どこかのサイトにこれを意識した冷酷な反論があった、というウワサも耳にしました(^^;;)。
 また、いずみ自身がじぶんのことを棚に上げて(^^;;)、他のCD(Cross Dressing:異性装)な方へのメッセージとして書いた#005、これはもちろん、じぶんへの戒めとゆー意味もあっての文のつもりでした。

 でも、今読み返してみるとこれ、どちらも、かなりイケイケって感じ…(^^;;)
 ってゆーか、なんか、自分に妙な自信がついてきてた時期だったよーな気も、しないではありません。当時は全然意識してなかったんですけど、今思えば、「ぉっ、最近パスできてるかな?」なーんて感覚はあったんですよね。だから、あーゆーのを偉そうに書けちゃったのかなぁ、なんて(^^;;)。

 そして、#014を書いたころは、「おんなのこでありたい」とゆー志向がかなり強くなってきたとともに、「最近、リードされやすいなぁ…」と、だんだん落ち込みつつあった時期でもあります。

 今回は、いわゆる「人生の分岐点(^^;;)」を経て、そのあたりの意識がまたまた変わった(しょっちゅう変わってばっか(^^;;))とゆーことで、新たな視点でこのテーマを考えてみたいと思います。
※この「人生の分岐点」、実は「のーがき」#016に詳しく書かれていたのですが、よーするに、仕事の上でも、じぶんを正直に出していくよーにしよう、ということです…ちょっと省略しすぎかっ(^^;;)。でも、ちょっと、公開できなくなった事情ができちゃったんです。ごめんなさい…m(__)m


 まず、もう一度用語のおさらい(^^;;)。
 「パス」は、異性装している状態で、まわりからその性として認められていること。「リード」はその逆で、まわりから服装と性が異なっていることを見抜かれること。
 「CD」「異性装」は、もち、生物学的男性が女性の装いをしたり、生物学的女性が男性の装いをしたりすることです。実は、この定義には問題おおありなのですが(だって、じぶんのgenderが女性だと考えてるひとが女性のかっこするのは、実は「自然」なのに、それを「異性装」とゆーのはおかしいんじゃないの?って論点です)、ここでは便宜上、そのよーなケースでも「CD」と使わせていただきますです(^^;;)。
 「フルタイム」「パートタイム」は、社会生活のすべてでCDしてるか、そうでないか、とゆー分類です。
 以上、よーく頭に叩き込んだ上で(^^;;)、お読みください(^^)。



 フルタイムだろーと、パートタイムだろうと、T*なひとは、ほとんどの場合、パスすることを望んでいるんじゃないかな?って思います。中には、「性的興奮を得るため」にCDする方もいらっしゃるようですが(ex.CDして痴漢に遭うことを狙う、CDしてそれ系(^^;;)の映画館などに行く、etc...)、その場合は「リードされること」があくまで興奮の前提になるのでしょうから(もちろんこれにも例外があるとは思いますが(^^;;))、今回のテーマとはちょっと別モノになります(^^;;)。また、ゲイバーに勤めるよーなニューハーフのおねえさん方も、「実はオトコだ」とゆーのが“ウリ”の1つになってることは否めない事実なので、また別です。

 パスできるか、リードされるか、の問題は、フルタイムで既に社会の中に溶けこんでいらっしゃる、あるいはそれをめざしてらっしゃるT*の方々にとっては、死活問題です。実際問題、今の日本の世の中は、男でも女でもない「第3の性」の存在など、ごく一部の特殊技能職以外にはほとんど認めてくれていません。だから、市井で平穏無事な生活をおくるためには、パスすることが絶対の条件になっているといえるでしょう。

 一方、パートタイムな方々にとっても、ある場合には、死活問題たり得ます。CDでの外出には、危険がいっぱい。家から出かけるときや家に戻ったときに、近所のひとに見られたらどうなるか。外出先で、友人や職場の同僚にばったり遭ってしまったらどうなるか。後者なら、変身ぶり(^^;;)が見事であれば、リードされてても「別人」で済むでしょうけど、前者の場合は、かなり強烈な問題になることは間違いありません。パスできていれば、まず、問題になることはないでしょうから…(もっとも前者の場合は、状況によってはパスしててもマズいかも(^^;;)。たとえば近所のひとに「昨晩、彼女がいらっしゃってませんでしたか?」って尋ねられちゃうとか、ねっ(^^;;))。

 また、このいずれでも、男女が分離されるよーな環境では、これはやはりおっきい問題になります。その最たるものが、トイレ。特にMtF(Male to Female)の場合は、一般に「女子トイレに男性がいるのは重大事」と考えられていることもあり、パスできないと、最悪、「軽犯罪法に触れる可能性アリ」とゆーことで「警察のご登場〜」となる危険性もあります(u_u)。もちろんこの場合は、男子トイレに入ればよいだけの問題ですが、ただこれはこれで、「自分が戸籍上は男性だよーん」って自ら宣言してるよーなもので(^^;;)、時と場所によっては十分にまずいわけです。



 さて、では、実際にCDして外出したとき、どんな局面でパスできるのでしょうか?あるいはリードされるのでしょうか?

 いずみが思うに、パスできるか、それともリードされるか、は、とにかくまず「目立ってるかどうか」。もち、これはその場のシチュエーションによって大きく変わります。

 一般論を語る資格はまったくありませんので、いずみ自身の話をします。  何度も強調してきましたけど、いずみ、そーとーでっかいです(;_;)。こっちでははじめて公開するのですが(実は英語版を紹介していただいている、海外のT*リンクサイトには、身長体重3サイズ、ぜーんぶ出てるんですけどねっ(^^;;))、178cmね…(;_;)。で、おまけに、肩幅もかなりあります。いくら最近、おっきな女性が増えてるとはいえ、さすがにこれくらいのでっかさだと、どこをどーごまかしても、目立っちゃうのは間違いないですね…(;_;)。
 おまけに、いずみは、いわゆる「オトコ顔」です。そりゃ、生物学的にはまぎれもない♂なのですから、アタリマエといえばアタリマエなのですが…(u_u)
 いくらメークをしても(って、いずみのはほとんどメークの体をなしてないとゆー説もありますが(^^;;))、顔だちそのものを変えてしまうのは難しいことです(って、そーゆーあきらめがあるからいつまでたってもメークがうまくならないのかも(;_;))。もちろん、体格は修復不可能(;_;)。とゆーことなので、じろーって凝視されたときにリードされちゃうのは、まぁ、ちょっと不回避かも知れません(;_;)。
 だから、いずみは髪をショートにしないで、結ばないで、ファッションは地味系にして、せめて体格と顔だち以外は少しでも目立たないよーに目立たないよーに、をこころがけてはいます。あと、たたずまいも、ねっ(^^)。しぐさだけは、なーんも意識してないんですけど、周囲の意見では問題少なそうなので、そのまま気にしないことにしてますです(^^;;)。

 そのせいだかなんだか、最近は、電車の中とか、人ごみが多いとこではほとんどパスできてるみたいな感じです。いずみはなぜか、視線を固定してても、視野の中の10人くらいの表情は同時に判別できるのですが(^^;;)、ほとんどの人が、視線をこちらに向けても、すぐに何事もなかったかのよーに視線を元に戻してます(^^)。単に「でっかい女だなぁ」って感じなのかな?冷たくないんですよね、空気が(^^;;)。

 しかし、若い女性店員のいるお店では、そうでもないです。店員さんにとっては、お店に入ってきた人はお客さん。第3者じゃありませんから、やっぱりこちらを、目的意識的に、見ます。そのときの表情の微妙な変化を、いずみは見逃さないのだっ!((^^)なのか(;_;)なのか…(^^;;))。やっぱり、スルドいですよね、若いおんなのこたちは。

 それから、歩いてると、けっこう厳しいです…(^^;;;;;;)。恐らく、歩き方全体に問題があるのだと思います(ご指摘ありがとっ(^^)>Hさん)。爪先からヒップまでに気を取られてて、肩とか腕の動きとかがダメなよーです(ご指摘ありがとっ(^^)(^^)>Hさん)。気をつけなくっちゃ(^^;;)。



 実は、「人生の分岐点」前のいずみは、こーゆー昨今の状況に、多少なりともいらだちを覚えていました。だって、どう考えても、これ以上の劇的な改善は望めないんじゃないか、なのにいずみの気持ちは、どんどん、「おんなのこ」になりたい、言い換えれば「パスしたい」方に向かってるんじゃないか、って…。
 これに対し、Pさんがでんごんばんで「私は女性よ、って心から思ってなければダメかも。」とゆースルドいご指摘が飛んできて、いずみは大混乱したわけです。

 これまでにも何度か書きましたが、いずみは、理想論としては、あまりgenderにこだわらなくってもいいよーな社会がいいな、って思ってます。
 でも、現実社会はそれを許してくれません。「おんなのこでいたい」のなら、「じぶんはおんなのこだ」とゆー意識をアタリマエのように持ってる必要がある。それはよーくよーく、痛いほどよーくわかる、正論です。
 でも、いずみ自身は、genderにこだわりたくない気持ちと、「おんなのこでいたい」とゆー気持ちを両方持っちゃってる。華奢なからだにオンナ顔を持っているならともかく、こんな醜いいずみにとっては「それじゃぁ永久にパスできないでしょう」とゆーPさんの捨てセリフも、カンペキに正論です…(u_u)

 そそ、そう言えば、そのPさんのページ、最近どんどんすばらしくなっています(^^)。よーく読むとどこにも「じぶんは女性だ」って書いてないけど、多くの人はそーゆーかんちがい、するんじゃないかなぁ…そうか、これがその「じぶんはおんなのこだ」ってことなのか!!(^^)
 …ってさぁ〜、いずみだって、そーゆーノリのサイト、別に開いてるぢゃんかっっ!!!(大爆笑)
 ぜんぜん、ひとのことは言えない、いずみでしたぁ〜(^^;;)。


 もっとも、じゃぁそうしたからといって、リードされることが全くなくなるのか?といえば、それもかなり疑問です…。「やってみなければわからない」ことなのかも知れないけど、いろいろ努力して、その果てが「やっぱりむりだった…」。そうなるかもしれないことを恐れずにつっ走るだけの気力も勇気も、いずみには、ないです…

 今にして思えば、こーゆーことも、いずみが落ち込んでいた1つの原因だったのかも知れませんね…



 しかし、「分岐点」後のいずみは、そーゆーレベルをひとつ、突き抜けてしまったよーな気がします(^^;;)。

 よーく考えてみれば、いずみのこのガタイとカオ(と声:声については、また別の機会に「のーがき」してみよっと(^^))は、もうどうやっても変えられないものなんです。
 いずみの意識がどうあろうとも。

 だったら、このガタイとカオに、一生、つきあってやらなくっちゃ(^^;;)。

 ただ、一生つきあうことを「運命」だと思って受け入れるのなら、「リードされる」こととも一生つきあうことになります…



 でも、いずみは考えました。
 いずみが「分岐点」で選択した道は、実は、「パス」とか「リード」とかが、それほど重要じゃなくなる道なんじゃないか、って。

 今のところは(いつ気が変わるかは神の味噌汁だけど(^^;;))、いずみは、じぶんのあるがままを、もっともっと社会に出していきたい、なーんて思ってます。もちろんこれは、目的とゆーよりも、「分岐点」の結果、そーゆー方向性をとりやすくなった、とゆー感じではありますけど…
 で、社会に自分を出す、とゆーことは、それこそニューハーフのおねえさん方じゃないけど、「わたしはT*だよっ」って、堂々と宣言しちゃうよーなものです(^^;;)。それでいて「パス」も「リード」もない、って感じが、してるわけです…(^^;;)



 ただ、これは、いずみがよくやる量子力学のたとえ話で言うと(^^;;)、マクロな領域の話です。
 電車や街角でパスした、リードされた、ってゆーのは、どちらかと言えばミクロな領域の話です。

 いくらいずみが「じぶんを社会に出す」と言っても、ミクロな領域ではやっぱり、ある程度は既存の社会にじぶんをfitさせなけければ、生きていけません。

 だからいずみは、もちろん、これまで以上に、リードされないようにこころがけていくつもりです。

 そして、その一方でいずみは、おとこらしさでも、おんならしさでもない、「いずみらしさ」をみがいていくつもりです
 そう、リードされたとしても、その相手が、いずみに対してあたりまえに、自然に、接してくれるようになることを願って
 パスとかリードとかを越えて、ひとりの人間としての魅力を出せるようになることをめざして!!

(97/05/28記)  



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