ざつぶん#001 華原朋美 BREAK OVER


華原朋美 年表
・下河原朋美時代
1974
誕生
1990
アバンギャルドにスカウトされる
以降、雑誌モデルとして活動
・三浦彩香時代
1993
「茶屋町学園」オーディションに出場
「さんまのなんでもダービー」アシスタント
アイドル誌「MABU」巻頭水着グラビア
・遠峯ありさ時代その1
1994
「Mew」「HIP」(ANB)に登場
第四期黒BUTAギャルズとなる
「ヤングマガジン」グラビア
すぐに第四期黒BUTAギャルズを降番
・遠峯ありさ時代その2

「トゥナイト2」(ANB)で突然生年月日が元に戻る
「楽珍!スポーツ共和国」(TBS)準レギュラー
「天使のU・B・U・G」(CX)レギュラー
「天使のU・B・U・G」レギュラーの場を優加しおりに奪われる(笑)
1995
「天使のU・B・U・G」レギュラーに復活
「シブヤ系うらりんご」(CX)うらりんギャルとなる
「オールスター大運動会」(CX)女子100m走で優勝
小室哲哉の音楽番組「TK Music Clamp」(CX)でTMネットワークの「Get Wild」を唄う
LiveUFOイベント(CX)で「小室哲哉プロデュース権」を獲得
「うらりんご」降番
個人事務所・テツヤコムロライズに移籍
写真週刊誌に「小室と交際」との記事が掲載される
・華原朋美時代

「TK Music Clamp」で中山美穂の「50/50」を唄う
95年ビジュアルクイーンに選ばれる
デビューシングル「Keep Yourself Alive」
セカンドシングル「I Believe」


 小室哲哉の寵愛を受け、CDもヒット、今や世間でも知らない人はいない華原朋美。もちろん本誌読者にとっては「サバ読み」「キレまくり」「優加しおりと乱闘」遠峯ありさとして有名だろう。現代のアイドルのサクセスストーリーを、これ以上ない形でボクらに見せつけてくれた彼女の足跡をふりかえってみよう!



 「一般にはマイナーだったアイドルが、小室哲哉と××しただけで大ブレイク」と世間でも思われている華原朋美=遠峯ありさ。もちろん、他の「報われてない」アイドルたちを大勢知っているアイドルファンにとっては、このような状況はむずがゆいものだ。実際、本誌11月号で小さく意見募集したところ、予想を上回る、熱い反響が寄せられた。
 今回は、改めて遠峯=華原の歴史を振り返ることから、この問題を考えてみたい。

<三浦彩香時代>
 −初々しさあふれていたころ…

 千葉県生まれの下河原朋美は、高1の頃渋谷の街中で前事務所にスカウトされ、三浦彩香という芸名をもらった。雑誌モデルなどをしつつ、乗馬で活躍、国体に出場している。
 そんな彼女が、はじめてアイドルマニアの前に姿を表わしたのが93年のMBS「茶屋町学園」おちゃめ組3期生オーディション。彼女は出場者中でもかなりの高レベルだったが、政治力か出来レースか、とあるC級アイドル(笑)に優勝をさらわれてしまった。
 しかし、これと「さんまのなんでもダービーでのアシスタント姿が某アイドルライターの目にとまり、当時創刊されたばかりの「MABU」巻頭に登場。多くのアイドルマニアはこの時点で、「グラビアアイドル・三浦彩香」を認識した。

<遠峯ありさ時代その1>
 −突然若返り、大量露出を始めたころ…

 そんな彼女が、大々的に売り出されたのが94年春。突然芸名を変え、と同時に年齢までが4歳も変わってしまった(笑)。芸名を変えた理由は、俗に「同じ事務所の三浦早苗とまぎらわしいから」と解説されているが、そのついでに「現役女子高生」になってしまったのがすばらしい(笑)。
 そして、事務所側が売り出しを急ぐあまりとんだハプニングも発生している。ようやくノってきた感のあった黒BUTAギャルズに四期生として加入、「ヤングマガジン」でのお披露目グラビアでは、なんとメンバーの中心に鎮座ましましているではないか。「やっと生で観られる!」とばかり、ファンはその直後後楽園ゆうえんちで行なわれたイベントへと足を運んだのだが…彼女は欠席!そしてラジオで「遠峯さんは黒BUTA辞めました」との無念の発表…。実は、黒BUTA4期にはペプシ・マウンテンデューとのタイアップがあったにもかかわらず、事務所がコカコーラのキャンギャルの仕事を入れてしまったため、ペプシ側が難色を示し、クビになってしまったのであった…(笑)。

<遠峯ありさ時代その2>
 −年齢とともに、そのキレた性格も正直に出すようになったころ…

 黒BUTAの一件はあったものの、ANBの深夜番組「HIP」「Mew」に登場、その存在も知れ渡ってきた。一般誌・コミック誌の表紙・グラビアにも順調に登場、アイドルファンの間にも存在が浸透。しかし、ここで突然のハプニングが起こる。ANB「トゥナイト2」で彼女が「お部屋訪問を受ける」内容なのだが、テロップにいきなり「遠峯ありさ(19)」!唖然とするファンをよそに、キレまくった姿をさらしてくれた。その後、他のメディアでも徐々に年齢が修正されていくと同時に、そのキレたキャラクターも全開となっていくのだ。
 秋に始まった「天使のU・B・U・G」。彼女は、水野あおい・矢部美穂・ピンクサターンらとともに「わかりやすい」アイドルとして大活躍した。「月給一万円でやってられるか〜」と公言、事務所の社長に蹴りを入れたりした姿はおなじみと思うが、あれは番組演出でも何でもなく、彼女の地がそのまま出ていたのである。年末特番では、本誌認定B級アイドル、優加しおりから挑戦状を叩きつけられ、レギュラーの座を賭けたゲームで敗退、くやしさにまわりも気にせず取り乱し泣きじゃくっていたのが印象深い。
 その他TBS「楽珍!スポーツ共和国」にも度々出演、深夜のみならず、お茶の間にもそのキャラクターを振りまいていた。
 95年春に「UBUG」は打ち切りとなったが、代わりに「シブヤ系うらりんご」がスタート、ついにおニャン子時間帯に進出することとなった!さぁどうなるのかと思いきや…

<華原朋美時代>
 −ついにかちとった栄光の道…

 予想通りというか反してというか、「うらりんご」は視聴率的にパッとしなかった。深夜番組だからこそウケまくっていた彼女のキャラクターも、夕方の番組では今一歩だった。
 しかし転機は別のところからやってきた。小室哲哉がホストを務める新音楽番組「TK Music Clamp」、エンディングにアイドルや子役に歌を唄わせる、というコーナーを設け、彼女はその第2回めに登場することになったのである。小室をバックに、TMの曲を唄う遠峯。明らかに、この時点で小室の触手は動き始めていた。
 小室哲哉のアイドル好きは、今更ここで書くまでもないだろう。「BOMB!」を愛読(本誌も読んでくれー(笑))、前妻は「キララとウララ」の大谷香奈子、かつて某誌のインタビューで「欲しいものは?」と聞かれ「アイドルをグロス(12ダース)で」と答え、あきれられたこともあるという。TPDのプロデュースを頼まれれば篠原涼子を要求し(篠涼の件(笑)は、別に「恋しさと…」に始まったワケではないのだ)、ホリプロスカウトキャラバンに出場経験のある桃組3429番の古谷仁美を唐突に拾い上げ、……。
 そして、小室が全面プロデュースした95年のLive UFO。会場の代々木公園から、アイドルが参加した、ナゾのゲームが生中継された。「優勝すれば、小室がプロデュースしてデビューさせる」と銘打たれたこのゲーム、果たして遠峯は優勝!
 ここから歯車は大きく回転した。小室はすかさず、「これからはアーティスト毎に独立採算でやりたい」とばかり、遠峯の個人事務所を設立。彼女は、テコ入れ時期と重なったことを幸いに「うらりんご」を降番。そして、写真週刊誌に「小室哲哉、16歳年下美少女と交際」というスクープ(笑)の掲載となったのである。
 心機一転、芸名も本名に近いものに変更し、「Music Clamp」第9回で華原としてのお披露目も済ませ、CXの「ビジュアルクイーン」にも選ばれ、これまた新規設立されたORUMOKレコード第一弾としてCDデビュー、数十万枚という、そこそこの(もちろん「アイドル」としては破格の)売れ行きを達成した。
 もはやボクらからすれば「遠いところ」に行ってしまった感もある彼女。身近なアイドルとしての最後の笑顔は、「オールスター大運動会」100m走に優勝したときのものかも知れない…



 かつてラジオ番組を一緒に務めていた雛形あきこは彼女をこう評したという。「パパが見つかってよかったね」。個人事務所を作ってもらい、専用レーベルを作ってもらい、マンションまでも買ってもらった現状は、まさに「愛人生活」そのものである。
 恐らく彼女にとっては、この現状は「恥ずかしいこと」でも、「自慢すること」でもない、「ごく自然なこと」である。歌にさほど興味がなくても、パパが「唄え」と言えば唄うし、パパが「いちゃつこう」と言えば、TV番組でも堂々といちゃついてしまう(10月に放送されたNTV「スーパーTV」小室特集)。やっと見つけたパパに従うのは、「イイ」「イヤ」以前に彼女にとって当然のことなのだ。
 そして、そのパパは、これまでの活動で彼女が「アイドルとしても努力しよう」とする姿勢を持ってきたからこそ獲得できたのである。もちろん、彼女自身がアイドルとしての低くない資質を持っていた、とか、大勢のアイドルが出演する番組が(アイドルからすれば)エグいバラエティ「UBUG」くらいしかなく、その特異なキャラクターが一層際立った、などの要因もある。しかし彼女には、それを計算で狙ったフシはあまりうかがえない。彼女なりの「ナチュラルさ」で(本能のおもむくままに、ともいうが(笑))、彼女なりに「がんばって」きたのである。その結果、アイドルとして名がそこそこ売れ、「Music Clamp」への出場権も獲得できたのだ(他の出演者を見れば、いわゆる「それなりのメジャーどころ」が多いことは一目瞭然だ)。

 遠峯のサクセスストーリーは、決して「寝られて万歳!」という面だけでは語れない。才能+努力+運、このすべてがマッチしてはじめて生まれたものなのである。  …にしても、やはり釈然としないものが、正直言って筆者にもある。愛人になろうがいちゃつこうが知ったこっちゃないが、ここまであからさまにやられると、ねぇ…(苦笑)  もしかして小室は、このような「アイドルファンの心理」までお見通しで、あえてイヤ味なほどの露出をしているのだろうか?それとも、ボクらの感覚が「古い」のだろうか?



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