ざつぶん#007 西野妙子 有為転変

※この文は、いずみが「投稿写真」96年7月号に執筆したものです。



☆西野妙子年表☆

1975
誕生
1988
浅草花やしきでハッシープロにスカウトされる
足立区立竹の塚中学校に入学
初CM「進研ゼミ」
1989
教師びんびん物語IIに出演
「WANT YOU!」でデビュー(たえこ&ゴメンドーKIDS)
所属事務所ハッシープロをマネージャーとともに離脱
デビュー延期
1990
新事務所シュートアップより「A級キッス」でメジャー?デビュー
2ndシングル「ギヴ・ミー・パラダイス」
CM「サッポロ一番みそラーメン」
映画「パンツの穴5」
1991
3rdシングル「悲しい林檎(1991)」
1stアルバム『Rhythm Jam』
CM「ビオレU」・「NTTクレジット電話」
竹の塚中学を卒業、堀越高校に入学
日本青年館でファーストコンサート
4thシングル「純情可憐でごめんなさい」
所属事務所シュートアップが倒産、さんゆうに移籍
5thシングル「純愛狂時代」
2ndアルバム『Flower Groove』
NTV歌番組「MUSICパフェ」アシスタント
6thシングル「246 Heartbreakers」
1992
堀越高校を中退
7thシングル「悲しい女になっちゃうよ」
3rdアルバム『発売予定日』
ニューヨークでライブを企画するも、日本からの観客が集まらず中止
8thシングル「真冬だっていいじゃない」
みかんCM
ベストアルバム『Taste Of West』
1993
9thシングル「傷だらけのキス」
ANBドラマ「湘南女子寮物語」
1994
所属事務所さんゆうが閉鎖、イエローキャブへ移籍
10thシングル「KISS ME」
ANBドラマ「アリよ、さらば」出演
5thアルバム『INNOCENT TUNE』
11thシングル「パトロン」
1995
TBSドラマ「揺れる想い」
コムロギャルソンでヴォーカルグランプリ
1995
dosとしてCM「資生堂ティセラ」
dosとして「Baby Baby Baby」でデビュー、オリコン4位獲得



 hitomi・華原朋美に続き、またまた小室がアイドルをGET!今回その餌食となったのは、アイドルとしての活動歴も長い、西野妙子だ。
 新ユニット「dos」デビュー曲は既にオリコン4位を記録。もちろん、アイドル時代にリリースしたシングル11枚の総計を軽く越える売り上げである。
 以前華原朋美のサクセスストーリーをとりあげた本誌には、当然、彼女についても振り返る義務があるだろう(笑)。華原とは対照的な、苦難続きだった彼女のあゆみを振り返ってみよう…



 西野妙子、20歳にして、大ヒットを体験。
 彼女のこれまでの活躍を知らない人は、彼女と華原朋美をダブらせ、「若い小娘が苦労もせずにまた…」と嘆くかも知れない。
 しかし、古くからのファンにとっては、そのような、彼女と華原を同列に置くような意見は「暴論」以外の何物でもない。
 その才能を高く評価されながら、アイドルとしてはパッとしなかった西野妙子。いつも周囲のゴタゴタに流されてきた西野妙子…



◆ソロデビュー以前◆


「教師びんびん物語II」。右は観月ありさだ!
 彼女がスカウトされたのは、88年3月。実に8年前である。小学校卒業の記念で、彼女が友達と東武線に乗って遊びにきた浅草花やしき。そこでたまたまやっていた藤井一子のイベントを何気なく見ていたところに、現場にいたマネージャが声をかけたのだ。
 その子供らしい愛くるしさでさっそくCMが決定、オンエアされ、またたく間に子役チェッカーの注目を集めた。
 翌89年には、初のレギュラードラマとして「教師びんびん物語II」に出演。11話「お母さんごめんね」では主役となり、また「夜のヒットスタジオ」では、主題歌を唄う田原俊彦のバックで踊っていた。当時のマニアの間では、「観月ありさと西野妙子とどっちがかわいいか」という、いつもの不毛な(笑)議論が繰り返されていたのである。

飯田橋RAMLAにて。13歳。撮影:NAMiA氏

 そして、8月にはCXドラマ「ゴメンドーかけます」の主題歌「WANT YOU!」でデビュー。千葉三越や飯田橋ラムラでイベントも行なわれた。「早く生で観たい」そんなマニアたちの願望が、早くも実現した。握手会で惚けまくるファン続出、販促グッズとして配られた「ゴメンドーグッズ」(帽子とマント)を身にまとったまま、他のアイドルのイベント会場で騒いでいた人が多数いた、という、伝説に残るイベントである。

 このCD、ジャケットに彼女の写真はない。あくまでもこれは「企画モノ」という位置づけになっており、正式デビューへ向けての地ならしだったのだ。そして、中の封入物に「9月25日、「悲しい林檎」でソロデビュー決定!」という告知がある。
 しかし、実際には、彼女は89年にはCDをリリースしていないし、「悲しい林檎」は3rdシングルなのである。 彼女は、スカウトしてくれたマネージャと共に、事務所を飛び出してしまったのだ。
 これにより、彼女のデビューは1年延びてしまう…



◆アイドル期(1)・中学生時代◆

 予定より遅れること約1年、新しい事務所、シュートアップでようやくソロデビューが再決定。90年6月に「A級キッス」でデビューした。だが、この1年のブランクは大きかった。14〜15歳くらいに、女の子の表情は大きく変化する。彼女もその例にもれず、いつの間にか、どこか大人びた印象のあるカオになっていた。こうして、一部のマニアの熱は冷めてしまった。
 とはいえ、もちろん、メジャーデビューの効果は大きい。新たなファンも少なからずつき、遅まきながらも順調な滑り出しとなった。アイドルとしては堅実な歌唱力もあり、CDリリースも着実に行なっていく。事実、当時のワーナーパイオニアは彼女にかなり力を入れていたようだ(最近「ウチはかなりがんばったんだけどなぁ…」と嘆いていたスタッフがいたらしい(笑))。
 デビューから1年未満で早くも1stアルバムをリリース、91年春には地元の公立中学を卒業し、芸能人御用達、堀越高校に入学。順調に動いているように見えたが…



◆アイドル期(2)・高校時代◆

 堀越入学直後、また彼女をめぐる状況に激動があった。所属事務所が倒産したのだ。
 ただ、この時は、タレント・スタッフをすべて、さんゆうという事務所が抱えることになり、活動が滞ることにはならかなった。デビュー延期を知るファンは、とりあえずはホッと胸をなでおろした。
 このさんゆうという事務所、実は、某有名ダクションのジュニア氏が社長を勤めていた。自らもアイドルファンで、アイドル系パソ通でもよく活躍していたジュニア氏が彼女を引き受けた理由の中には「西野をつぶしたくない」という熱意もあったのだろう。
 TVレギュラーも決まり、新事務所での活動も定着。CDリリースも、売れはしないものの定期的に続く。が、活動に新機軸がないせいか、ファン人気は、残念ながら長期低落傾向に入ってしまった。



中退直後のTV公録 撮影:いずみ
◆アイドル期(3)・高校中退後◆

 彼女が高校2年生の春を迎えてしばらくした後のこと。彼女は急速にケバくなった。髪にもパーマをかけ(校則では禁止のはず)、化粧も派手になった。今で言えば、ちょうどコギャルのような雰囲気をかもし出したのだ(眉がキレイな山形だし(笑))。
 やがて、一部ファンの間で謎解きが行なわれた。何のことはない、彼女は堀越高校を退学していたのだ!
 一説には「おべんきょうはかなりできないらしい」とのことだが、なにしろ堀越高校、それだけが理由ではあるまい(笑)。
 これらの影響かどうかはわからないが(笑)、CMもみかん関係の1本になり、CDリリースも途切れがち、ついに、一般には「契約終了記念」と言われる(笑)ベストアルバムまでリリースされてしまう。人気も、新規開拓がなされないまま、既存のファンが少しずつ離れていく、という、あまりよくないパターンに陥っていた。
 93年にはドラマ「湘南女子寮物語」に出演するが、これもはじめは某のど飴アイドルにキャスティング依頼があったもので、そのアイドルの事務所が「民放ドラマには出さない」という妙な方針を持っていたため、西野にチャンスがまわってきただけだったらしい(そもそも、当時西野とルックス上見分けが極めてつきにくかった(笑)辺見えみりとの共演は普通はないだろう、という説もある(笑))。
 そして、93年暮れ、彼女をまた激震が襲った。所属事務所が、またまた閉鎖することになってしまったのである…



◆アイドル期(4)・イエローキャブ◆

 この時の事務所閉鎖の理由は、なんと逸見政孝氏の死去である。親会社のドル箱的存在だった氏が亡くなったことにより、「息子の道楽につきあう余裕などなくなった」というところか。
 ともかくさんゆうは93年末をもって閉鎖された。所属タレントは親会社か、関連会社に移籍と相なった。西野妙子は関係のあったイエローキャブに引き取ってもらうこととなった(蛇足だが、本誌昨年度10大ニュースでとりあげた、伊集院光と結婚した篠岡美佳は親会社に移籍)。
 当時、アイドルファンの誰もが「え?あの胸のない(失礼(笑))西野妙子がイエローキャブ?」といぶかしがったのだが、実はこのような事情があったのである。
 もちろん、さすがにそのままイエローキャブというのは不釣り合いだ、ということなのだろうが、程なく「タレント展開を中心とする」コのための系列事務所、サンズに移籍。単発的ながら、再びCDのリリースも行い、ライブ活動も地味に行なっていた。
 なお、94年11月の、原宿ルイードでのライブにて、思わぬ形で高校中退が公表されたらしい。「ドラムの人はバークレー大学出てて、中卒の私は…」普通ミュージシャンが「バークレー」と言えば、アメリカの大学の方ではなく、音楽専門学校の方を指すのだが…(笑)



◆dosへ…◆

 95年に入ってからの彼女は「ライブや営業を地味〜にこなしていく、B級アイドル」という印象しかなかったのだが、11月、TX「コムロギャルソン」のヴォーカルオーディションに突如出場、スタジオ投票で1位を獲得したのだ。
 他の出場者のレベルを考えれば、一般的なオーディションならどう考えてもこれは順当な結果だ(だから、このオーディションがデキレースだったかどうかは、あまり重要ではない)。
 これには、彼女のファンだったマニアも、そうでないマニアも、皆驚いた。
 そして、反応は様々だった。「せっかく唄えるコなんだから、今のまま埋もれるよりはいいではないか」という肯定論と、「どうせ小室に使い捨てられるだけだ…」という否定論が相半ばしていた。もちろん、多くのファンの中では、その両方の想いが交錯していたに違いない。
 結局、小室哲哉は、三井美佳(元乙女塾・元さくら組)や宮島依里(女優・昔ちびっこ歌番組で活躍)や小野由美(元アイドル・あ、現役か?(笑))や鏑木美砂(モデル)や可愛ゆう(元AV女優)や高森紀香(モデル・元AV女優の中上絵奈だという説アリ)ではなく、西野妙子を選んだ、というワケだ。
 そして、他のダンサー2名と3人組ユニットdosを結成、予定どおり絶好調の売れ行きとなっている(しかし、オリコンで1〜5位を小室系が独占、という状況は、93年のビーイングに匹敵する勢いである!小室人気、まだまだ健在か…)。



 小室は番組中で、今回のオーディションのポイントを「声質に痛みがある」と表現している。そして、dosでの西野のヴォーカルは、多くの小室系と同じく、「伸ばすところをワザと音程ずらして」収録されている。多少肥えた耳には、ちと強烈である。もちろん、昔の彼女の唄を聴いている者には到底納得できないものだ。
 売れるのなら、一般ピープルから「あぁ、この程度の歌唱力なのね」と思われてもかまわない、という、小室の手法。ある意味、古くからのファンが最も恐れていたことである。
 しかし、資生堂「ティセラ」のCMで見せたあの表情は、ソロデビュー前を除けば(笑)最も「アイドルらしさ」にあふれた表情だ、というのもまた事実だ。
 小室が、またもや成功を収めたことは間違いない。そして、西野妙子本人にとっても、満足な結果なのだろう。
 結局、昔からのファンだけが裏切られたという気もしないではない。悔しさを覚えるファンもいるだろう。
 だが、これまで事務所・プロデューサーに恵まれてこなかった彼女が、はじめて掴んだ恵まれた環境なのだから、あたたかく見守ろうではないか…



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