「外道」

 ここにきて、にわかに「外道」というコトバがメディアを賑わせはじめている。しかも、歴史を大きくねじ曲げる形で。

 「外道」誕生の歴史は、大まかには「四季報」のコーナーでとりあげた。
 元々この言葉が使われはじめたのは'91年6月くらいから、TPDジャンキーの間でである。今や元祖外道として名高い(笑)レッツ長氏が、メンバへの手紙と、それに対するメンバのステージ上からの回答という作業をくり返し、タレントの芸に、ひいてはタレントの歴史に「介入しようとしている」という烙印を押され、「そんなのは人間のすることではない。人間以下の"外道"だ!」と言われたのが発端なのだ。
 響きのよい(悪いともいう(笑))コトバはすぐに伝播する。92年頃現れた、「四季報」片手にイベントで本名やコンテスト名を叫ぶ連中も、ほどなくそう呼ばれるようになった。ただしそれは、その行動の表面だけを捉えて使われていたのでは断じてない。
 「外道」という語感からは、「アイドルファンとしての道を外れてい」ればなんでも該当する、という風に見える。実際、この当時"外道"と呼ばれていたひとびとの行動様式は、


など多様であり、ひとつの枠にくくれるものではなかった。強いて挙げれば、イベントの後に天狗で飲むということくらいか(これは元祖外道にも共通するぞ(笑))。しかし、これらの行動の背景には、共通する確固たる理念(笑)があった。それは、
「あ~オレはなにバカやってるんだろう…」という自己への嘲笑
である。さらに踏み込むなら、バカをやっている自分を冷ややかに眺める自分がいて、そういう状況全体をよろこんでいるのだ。結局のところ自分に酔ってるだけなのだ(笑)が、自分が興味のある分野でも、自分の主観が大きく左右する部分までも、ある程度は客観視できなければ、“外道”にはなれなかったのである。
 行動面でも、ただ騒いでいるわけではなかった。いわゆる「暴露ネタ」的な叫びは、ほとんどがステージ終演直前に、つまりアイドル本人へのその場での影響が相対的に小さい場面で行われていたし、プライベートなスキャンダルネタはほとんどなかったし、相手がいやがっているのがわかっている場合は止めていたと思う。

 '93年頃から、外道の行動に、共通点が出はじめてきた。熱心なファンというわけでもないのに大挙して出待ちに押し掛け、写真やサインをねだり、コミュニケーションをはかる。いわゆる「勘違いさせる芸風」である。もちろん本当にキライならその場に行かないワケで、多少は愛もあるのだろうが(笑)。で、通っているうちに情が移って、本当にファンになったりしてね(ex. Judy's)。

 結局これらに共通しているのは、「アイドル」を、仮想恋愛対象にするのではなく、「単なるお友達」感覚で捉え、コミュニケーションをとろうとしている、ということだ。親しいわけではないから、無制限に話し掛けたりはしない。「アカの他人」よりは近い関係だ(と勝手に勘違いしている(笑))から、相手の反応を伺いつつ、ちょっと刺激してみたりする。相手が露骨にいやがればそれ以上は深入りしない。
 そう、外道は、「アイドル」に、なんらかの理想像を求めていないのだ。冷静に考えれば、「なぜそこで2人が出会ったのか?」という最初のきっかけが「タレント」として・「ファン」としてであった以上、2人の間にはそもそも対等な人間関係が成立しえないことを外道はよく知っている(それがかつての苦い経験からか、はたまた女性に性的興味がないからか(^^;)は人それぞれだろうけど)。だから「友だち」というのはちょうどよいスタンスなのだ(笑)。
 タレント側も、ある程度以上距離が縮まってくる(==ある種の「恐れ」が薄らいでくる(笑))と、そういうファンはそういうファンとしてきちんと応対してくれるようになるようだ。もちろん、相手の気質にもよるのだが。

 なぜそのような「外道」が出てきたのか。難しいが、結局は狭義の「アイドル像」がその実体を失っていったということに尽きるのだろう。かつてアイドルが持っていた「偶像性」が崩壊し、活躍の場もどんどんミクロになっていく中、それまで持っていた充実感を維持するための策なのだろう。
 アイドルが輝いていたころは、みんな一方通行で満足できた。おびただしい量のアイドルが存在し、情報に飢えることもなかった。でも、相手からの刺激がどんどん減少し一方通行に満足できなくなってくれば、自らからきっかけを作る方向に走る。それが様々な行動として現れているのだろう。
 そういう点から考えると、TPDから外道の歴史が始まったのが実にうなずける。ダンサミは、一方通行の極致だ。ステージ中は、客はその内容に一切介入できない。当時としてはそれなりに興味深い構成、はたまた出演者にひかれて観に来ても、黙ってそれを受け入れるしかなかったのだ。どこかに不満を感じながら、その後の宴会でうさを晴らす者、ミニコミを作る者、はたまた手紙を出す者。結局周辺領域で泳ぎまわるしかなかったのである。

 プロレスネタで恐縮だが、現在そこそこメジャーになっている「紙のプロレス」という雑誌がある。これが扱っているのは、プロレスそのものではなく、プロレスマスコミであり、プロレスにかかわりが深いがレスラーではない人である。しかしこれを読むだけでも十分プロレスについて考えをめぐらせることができる。
 プロレスファンとアイドル外道には類似点が多い、というのが私の持論である。現在の多くのプロレスファンは、「真剣勝負だ」だの「八百長だ」だのといった、バカげた視点は持っていない。リング上、そしてリング外で繰り広げられる虚々実々のかけひきを考えたり、レスラーの何気ない発言の背後に見える人間模様に感動を覚えているのである。そこでは、試合そのものは重視されていない。試合で表現されている何かを、多様な視点から分析しているのである。「アイドルの過去」から歴史の重み、運命のいたずらを感じるのと似ている。
 もちろん、現場に行けば興奮する(笑)。いくら理屈をこねていても、かぁいいコがいればふにゃふにゃになるのと一緒だぁね(^^;)。
 虚実がはっきりとありその「虚」の部分で売っているものを、大いなる興味とほんのちょっぴりの冷めた眼で眺めたとき、話題が周辺領域にまで広がっていくのは不回避なのかも知れない。

 マスメディアではじめに「外道」をとりあげたのは、真下友恵の紹介記事満載(笑)の「ピコ」(ソニーマガジン)のコラムだと思われる。「カウンター」の定義を「メモ魔」と取り違えている以外は概ねウソなしであった。
 がしかし、こういう形で公然登場したコトバは、じわじわと流行っていく。比較的業界筋からも注目されている某大手商用BBSでも「外道」という語が注釈なして通じるようになり、いよいよ専門用語として普及したかな、と思っていた矢先。「SPA!」94年7/20号の「中森文化新聞」。

"おたく"を越える"外道"パワー!

 制服向上委員会のライブで 「脱げ!脱げ!」と野次を飛ばし、メンバーの本名や学校名を連呼する、さらに警備員とケンカ騒ぎで新聞沙汰ともなった "外道" と呼ばれるアイドルファンがいる。今、ドイツのネオナチ、ロシアのジリノフスキー、日本の外道がコワイ!
 …一体なんなんだ。
 ここで取り上げられている「野次を飛ばす連中」というのは、なにかと問題を起こしまくっている親衛隊崩れの若造どもじゃないか。

 さらに追い撃ちをかける(笑)ように、「投稿写真」9月号 P132・3の編集後記。

 現場からのリポートによれば、「外道」の行動パターンは、およそ次の三通りに分けられるという。
(1) イベント会場で徹底的にアイドルを野次りまくる。しかもなぜか裏情報に通じていて「秘密で受けた某オーディションに落ちた」ことや「年齢詐称」など、アイドル本人が一番イヤがることを、しつこく野次る。アイドルが舞台上で泣き出すことが彼らの最大の喜び。
(2) イベント会場でひたすらメモを取る。最初から最後まで顔も上げずにノートにメモりっぱなり。もちろん、拍手もしない。ノートには、アイドルの衣裳、曲目、振り付け、台詞などを子細に記録する。と書くと、一見熱心なファンのようだが、舞台上のパフォーマンスには全く反応せず、集団でメモを取る姿は、やはり異様というほか表現しようがない。
(3) アイドル本人ではなく、付き添ってきた家族(姉、妹など)や女性マネージャーなどに、あえて関心を示す。アイドルが舞台上で歌っているときも、わざと袖にいるマネージャーや家族の方に顔を向け、声援を送ったり、写真を撮ったりする。
 (1)は中森の記事と同じ。(2)はいわゆる「メモ魔」で、これもSKiに出入りしているただのバカな大学生のことですね(笑)。(3)は当たっている気もするぞ…(爆笑)。
 この「投稿写真」、さらに追い撃ちをかけるように
 現に会場では、彼らを注意する、オーソドックスなファンとの小ぜりあいもあるようだし、逆にMelodySKiのコンサートは、外道が来ておもしろそうってんで、人が集まるかも知れない。
だそうだ。
 …今どき、外道でMelodySKiのイベントに通う人なんているのだろうか?(爆笑)
 これまでも各種BBSで書いてきたとおり、SKiが華だったのは92年秋、志村和美や小林めぐみがいた頃。特定のコにハマっているジャンキー(笑)を除けば、多くの外道は、客層が急に変わった昨年夏以来はあまり観ていない。Melodyに至っては、まだ海のものとも山のものともつかない段階から本誌13号(93年5月発行)で「メジャーの香りがするから、外道には向かない」と宣言してあるのだが…(爆笑)。

 内容から察するに、「投稿写真」の方は、中森が書いた記事を見た下っ端編集部員が中森とかその手下とかに話を聞いて適当に書いたのだろう。現場で取材をしないと、こういうミスをおかすことになるのである(笑)。もっとも現場で取材をすると、そこで「投稿写真」のライターが自ら叫んでいるのを目撃してしまう可能性もあるが(爆笑)。

 さて、ここまでクソミソにいわれはじめた外道、全然傷つきはしない(笑)んだが、でも皆、面白くはない。自分の行動をも客観視する(ってしてるだけだが(笑))外道にとって、自分たちが独断と偏見に満ちた主観で論評されるのには「耐えられない」というわけか(笑)。
 別に芸風に飽きたワケじゃないけど、そろそろ、「外道」という看板を降ろそう、と思っている外道は少なくなかろう。
 ではどうするのか?“kichiku”?それとも演歌?それともSizzler?(笑)
 結局、周辺領域からは永久に逃れられないのだろう(笑)。氷河期でもゴキブリは生き延びるのだ(笑)。




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