「アイドル四季報」

(1) その歴史をふりかえる

 かつて隆盛を誇っていた「あいどる☆倶楽部」の流れを汲む形で「アイドル四季報」が発刊されたのは'89年春。最初の2号はコピー誌で、オフセット印刷になったのは同年秋号からである。
 「あい☆楽部」は、メジャーアイドルからオーディション・タレントスクールまで何でも扱うアイドル総合誌だったから、ちょっとマニアックで、アイドルについて考えるのが好きな人なら誰にでも楽しめた。それに対し「四季報」は、当初その名称の由来である「四季報欄」をメインにしていた。「会社四季報」よろしく、発行時点で活動中のアイドルのデータシートを延々と掲載していたのだ。'89年秋号を見ると、全60ページ中、実に39ページがこの「四季報欄」に割かれていた。その後ろに、歌謡教室レポート・オーディションレポートがあるという形になっている。「四季報欄」には、当初は「4段階評価」という勝手なランクづけ(笑)もなされていたのだが、これにはクレームがつき、あえなく単なる普通の(でもないが(笑))データ集になってしまった。
 今から思えば、この「四季報欄」程度の情報は「投稿写真」1誌を熱心に読んでいさえすれば得られるものであり、特に重要だったというワケではない。写真以外の情報は簡単に電子化できるレベルのもので、そうした方がよっぽと便利でもある。ただし実際にはこれ目当てで購入する人も少なくなかったようだ。本には「だらだら読める」というメリットもあるわけで、それほど「深くない」人には重宝されたのだろう。
 その四季報欄、'92年春号限りであっさり廃止される。「他の記事欄の充実をはかるため」というのが理由だが、それは口実に過ぎないと私は見てます(笑)。恐らく実際は「飽きた」だけではないかと(笑)。実はあの欄、製作に恐ろしく手間がかかるのだ。アーティスト写真の使用許諾をいちいちとってまわらなければならず、それをアミカケするコストもかかる。それを避けただけじゃないかね?(爆笑)
 普通のアイドルファンが購入しても最も違和感がなかったコーナーだけに、この廃止を期に「四季報」は急速に外道度を高める。91年くらいからTPDジャンキーへの知名度が高くなったことも関係しているかもしれない。
 TPDの記事が初めて掲載されたのは'90年秋号のイベントレポートで、夏休み中連日のライブをこなした(笑)原宿探険隊との比較では「原探の圧勝である」と結論づけていた(笑)。続く'91年新春号では深谷氏がコラムで「川村知砂論」を書いている(笑)。そして次の'91年春号で、いきなり「木原さとみ特集」をブチあげたのだった。
 この「木原さとみ特集」、「あい☆楽部」以来の蓄積を一気に公開するすばらしいものであった。12~3歳の頃の写真もふんだんに使われ、ついでに当時は市井ファンだった(爆笑)レッツ長の文も載っている。TPDジャンキーの流入を起こしたのみならず、「人に歴史あり」という視点からのアイドルとのかかわり方をあからさまに示した点でも、その後の四季報の行く末を決定づけたと言うことができよう。
 TPDが一般化(メジャー化ではない(笑))してくると、当然飽きがくる(笑)。笠井氏は次なるターゲットに「演歌」を指名した。折りしも若手女性演歌ブーム。それまでも単発で演歌歌手へのインタビューはあったが、これ以降は演歌度が増大してきた。アイドルファン側でも、演歌情報は普通の本からはなかなか仕入れられないこと、また演歌歌手はいわゆる「過去を伏せる」こともないため、大昔のちびっこ歌謡番組情報・コンテスト情報が必須となる(笑)ことなどから、「四季報」への依存度が高まっていく。そうなれば、演歌以外のアイドルの情報も逆流入していくことになる。
 こうして、今で言う「外道」が誕生した。現場で「四季報」を持ち歩き、本名を叫びコンテストで唄った曲名を叫び、その後居酒屋でクダをまく(笑)人種である。もともと「外道」という概念はTPDジャンキー内で使われだしたもので、その当時は「タレントの人生に介入する」連中を指していた。その意味ではかなり変質しているのだが、「居酒屋でクダをまく」というのは全く同じだ(笑)。
 '92年秋号では「外道とTPD」という特集記事が掲載されている。記事内容は、いかにも斎藤氏らしいオーソドックスな価値観をベースに、それでもうごめき続ける外道を描いたものだが、それとは全く関係のない、笠井氏による囲みの「外道チェック」がむちゃくちゃだ(苦笑)。最後の2問、あれで最高点つくのって世界中で私だけのような気がするのだが…(涙)。
 それ以降は、外道が開拓?したJudy'sメンディーズなどにインタビューを試みたり、一時期「歌姫伝説」のブッキングにかかわったりという、皆さんもよくご存じの状況である。最後には笠井氏、「あおいちゃ~ん」などと惚けていた。「ついにヤキがまわったか…」というのが多くの人の感想だったことであろう(笑)。実際、笠井氏には苦情が殺到(笑)。実はこの時点で廃刊は決まっていたのかも知れない(笑)。

(2)笠井・レッツ長両編集長に訊く

Y:笠井さん、おつかれさまでした。
K:いえいえ。
Y:廃刊は残念ですよ。我々は一体これから何を頼りに生きていけばいいんですか?
K:知らないよ~(苦笑)
Y:なんで廃刊したんですか?
K:もうやることないし。飽きちゃったよ。実際、いろいろと頼まれたりしてメンドクさくなるよ。
Y:というと?
K:いろいろなブッキングとか頼まれたり。イベント自体がおもしろければいいんだけど、そういうのばかりではないし。
Y:ふ~ん。そういえば、昔「歌姫伝説」のブッキングやってましたよね?(笑)
K:ええ(苦笑)。あのときはまだおもしろかったじゃないですか(笑)。
Y:そうでしたよね(笑)。で、最終号に「後継のミニコミ」とか出てましたけど、こりゃ何ですか?
K:あ、それは「スクランブルエッグ」ってやつで、レッツ長が編集長やるの。
Y:…(笑)。ということは、ジャパンの記事ばかりになるんですか?
K:そんなことはないだろうけど、今よりは多少濃くなるかもね。結局は編集長の色が出るものなんだからさ。
Y:笠井さん自身は今後どうされるんですか?
K:そろそろ引き際かな。
Y:が~ん…(絶句)
K:帝王も結婚して引退だし、福谷氏も引退したらしいよ。「もうアイドル関係の物は捨てちゃって、部屋がすっきりした」と言ってたよ。
Y:ますます、が~ん…(大絶句)
K:やっぱり、33歳くらいで限界が来る人が多いのかもねぇ。
Y:ボクは今年で29で、今現場で動いている外道は31歳が多いから、まだ壁が1層はあるんですけど、あと2年くらいでみんなボロボロ抜けてくのかなぁ…
K:まぁ、いつまでたっても惚けているのも辛いんじゃないの?(笑)
Y:みきみきさんとかはすっかり演歌外道だからこのまま一生続きそうですけどね(笑)。あ、私もそうすればいいのか!(爆笑)
K:…すでにそうじゃないの?(笑)
Y:えへへ(笑)。で、まじめな話、笠井さんはもう完全に引退しちゃうんですか?
K:表にはもう出ないよ。一応、「ダイナマイト通信」は復刊するけど。
Y:をを、それはすばらしい。
K:やっぱりミニコミは知り合いだけで読み書きする方が楽しいよ。いろいろ自由に書けるし。
Y:…うちは公然とばらまいてますが書きたい放題です(笑)。おかげでNiftyには登録拒否食らいました(爆笑)。


Y:ども。河内瑞恵ちゃんは元気ですか?
L:なんなんだいきなりその話題は(苦笑)。
Y:こんど後継誌の編集長をやるそうで。おめでとうございます。
L:…全然めでたくないよ(笑)。
Y:「スクランブルエッグ」というそうですね。名前の由来は?
L:ヒミツ(笑)。特別に教えてあげると、
…(以下中略)…
Y:なるほど。発行予定は?
L:一応、8月中に創刊準備号を出して、12月に創刊号かな。創刊号からは「四季報」と同じ販売形態にする予定だけど、準備号は手売りになると思う。
Y:ということは、8月後半に成東海岸に行けば買えるんですね?(笑)。記事の内容はやっぱりジャパン中心になります?(爆笑)
L:そんなことはないよ!(笑) まぁ、これまでよりも力が入るかも知れないけど、でも平尾もこれまで以上にとりあげるよ。ただ、これまでの読者層に加えて、デビューを目指すコたちにも読んでもらえるような内容にしたいと思うんだわ。だから、既デビュー組もそれなりに取り上げようとは思ってるんだわ。
Y:ははぁ、それで最近リンドバーグのコンサートにまで行ったんですね?(爆笑) 演歌はどうですか?
L:司千恵子・水田竜子あたりはとりあげたいけど、あんまり演歌は深くないから、おっかけの皆さんのサポートに期待したいところ。
Y:またまた~(笑)。ウチによくレポート書いてくれてるじゃないスか(笑)。
L:あれは演歌について書いてるんじゃなくって、演歌外道について書いてるんだから(笑)。
Y:あ~そうですか。ところで最近、「外道」という言葉が各種メディアで曲解されてますね。元祖外道のレッツ長としてはどう思います?
L:この辺のひとたちが今使ってる「外道」だって、元々僕が言われ出したときとは意味違うんだから、しょうがないよ(苦笑)。
Y:しかしお忙しいようですね。
L:正直言って、思ってた以上にミニコミづくりって大変なんだわ。
Y:でも成東には行くんですね?(笑)
L:そりゃそうだよ、だってジャパンミニコミの取材なんだから当然だよ(笑)。
Y:…やっぱりジャパンミニコミなんですか?(笑)
L:い、いや、コトバのアヤってやつだよそれは(苦笑)。とにかく今は「スクランブルエッグ」に賭けてるので、期待しててください。
Y:は~い。じゃ「ファイト!」で頑張ってください。
L:(苦笑)
(このあたり完全な内輪でスミマセン(^^;))

(3)まとめ

 この企画を決めた段階では、私のあせりは尋常ではなかった。まがりなりにも店頭販売をしているミニコミでありながら、外道魂(笑)を鼓舞しつづけてきた「四季報」がなくなることは、表の世界(笑)とのチャネルを切断されることに等しいからである。当初はさる事情から(一部の人だけ爆笑)後継誌の発行が危ぶまれており、本当に危機だったのだ。
 その後継誌が発行体制にまで漕ぎつけたことは誠に悦ばしい(おかげで、こちらの特集の方がちとピンボケになってしまったのだが(^^;))。タイトルから「アイドル」という語が消えることには一抹の寂しさがあるかも知れないが、その分、フィールドを大きく取れるのだ、と前向きに考えたい。
 大体が、「アイドル四季報」と言っても、世間から見れば「アイドル」とは呼べないモノを取り上げることが多かったし、「四季報」欄もなくなっていたのだ(笑)。外道は「アイドル」という領域を拡張することで生き残ってきたが、逆に「アイドル」という語にこだわらないのも1つの道であろう(内容はどちらも結局同じなのだが(笑))。
 ただ気になるのは、笠井さんが漏らしていた「33歳限界説」。笠井さん自身はこの限界を既に越えている、らしい(笑)が、斎藤・福谷両氏の脱落というのはインパクトがありすぎた。このあたり、実際に活躍中の外道を対象に統計調査などやりながら、今後考察を続けていきたいと思っている(笑)。




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