米沢泉美 全駅制覇 Report Vol. 36
母娘(笑)2人北海道・青森ねぶたツアー
第11日 やりすぎだぞ津鉄!
− 8月7日(土) −

今日の行程


発 駅 時刻 列 車 時刻 着 駅 制 覇
272 栄町一丁目 8:17 弘南バス青森五所川原線 9:37 五所川原駅  
273 津軽五所川原 9:50 津軽鉄道 普通 5レ 10:23 大沢内 大沢内
274 大沢内 10:56 津軽鉄道 普通 7レ 11:01 津軽中里  
275 津軽中里 11:10 津軽鉄道 普通 16レ 11:46 津軽五所川原  
276 五所川原駅 13:00 弘南バス青森五所川原線 15:27 栄町一丁目  
米沢泉美 全駅制覇 36日目 小計 1駅
米沢泉美 全駅制覇 今日までの累計 109駅

Section 36-0
「JRにまったく乗らず駅攻略」を青森で

 この日は、当初予定では普通に18きっぷを使い、1人で津軽鉄道に乗ってくることになっていたが、「本部長」さんから「私も行きたい」とのリクエスト。「朝早いですよ? 笑」と念押ししたところ、「本部長」さんご母堂より「バスがあるよ」とのアドバイス。調べたところ、そう遠くないところにあるバス停から五所川原まで直通する、弘南バスの便がかなりたくさん出ていることが判明、しかも運賃は18きっぷより安くなるという!
 あまりにありがたい情報に感謝しつつ、実は前日夕方、バス停まで走り京ぽんにて時刻表を撮影し持ち帰ってあった。それによると通過予定は8時12分。当初は青森発8時33分の電車に乗って行く予定だったわけで、これだとほとんど時間の差がないし、また五所川原で予定より1本ぶん早い津軽鉄道の列車に乗れそうなこともわかり、この日は7時30分起床。ご母堂に作っていただいた軽食を頂戴しm(__)m、バス停へと向かった。
 しかし、民鉄網が発達している関東・関西ならともかく、青森において、攻略の途中でJRに全く乗らない、というのはなかなかレアである。ひらがな駅攻略においては1度、東武の駅ばかりめぐった際に実行してはいるのだが。


Section 36-1
市中のバス停から五所川原まで一直線

栄町一丁目 8:17→五所川原駅 9:37
弘南バス青森五所川原線

 土曜日、それほど混んではいないはずの道で、しかも遠くない営業所を始発で出たばかりなハズのバスはなぜか定刻よりも5分遅れ。まぁバスってそんなものなので普通に乗り込み、後部座席にバラバラに着席した。

弘南バス車内 青森でJRにまったく乗らずに攻略に出かけることになるとは全く思っても見ませんでした、笑

 バスは青森市街を抜けると、国道7号線のバイパスを通らずに旧道に入る(あたりまえ)。ほどなく鶴ヶ坂の、温泉マニアには超有名なたらポッキ温泉。もともとは奥羽本線の鶴ヶ坂駅近くに3軒の湯治宿があったが、東北道の工事により湯が枯れてしまい廃業、その後ボーリングで新たに出てきた温泉である。もちろん入湯済みの「本部長」さんがうらやましい。その後すぐに大釈迦峠越えで人家はなくなり、合併前だった浪岡町に入るとすぐに右折して101号線に入る。まさにバスならではのショートカットだが、またまたすぐに峠越えとなって早くも五所川原市内となる。いくつか池が見える地域を過ぎるとやや人家が増えてきて、ほどなく市街地に。五能線をオーバクロスして、なんと8分も早く、かなり古風なバスターミナルに到着した。


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あまりにアフォな(誉め言葉)五所川原立佞武多

 当初予定ではさくさく乗り換えのところ、8分も早く着いたため、ちょっと立佞武多を冷やかしてみよう、と「本部長」さんからの提案。もちろん同意して、駅のすぐ南側にある倉庫へと向かった。

立佞武多 巨大すぎてフレームに入りきりません
立佞武多ちょっと冒険して、駅の屋上にあがってみる…まだ全部は入りきらない

 時間がなくしかも

真正面に交番がある

というあまりにアレゲな状況で駅の屋上にまであがってもこのざま…ということで、とりあえず諦めて津軽鉄道のホームへと向かう。

 この「屋上」、立佞武多観覧のために設けられたもののようだった。いちおうロープが張ってあったが、「立ち入り禁止」やそれに類する掲示が一切なかったため、入らせていただいたが、やっぱりまずかったかも?(^^;;)

 津軽鉄道は跨線橋がJRと共通となっているが、駅舎も改札も一応別立てになっている。古めかしく好ましい駅舎に入り、きっぷを買ってから跨線橋を急ぐ。と…

…アフォだ!デカい!デカすぎます!
全長23m こういうのを真剣に作って運行するという人間の営みは実にすばらしい!

 なるほど! ここからでないと全容が見えなかったのか!


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津軽鉄道に初乗

津軽五所川原 9:50→大沢内 10:23
津軽鉄道 普通 5レ(津軽21-104)

 当初、ここまでJRでやってくる予定からすると1本早い列車に乗ることができた。
 座席はかなり埋まっていたが、既に順向きにおばあちゃんが座っていたボックスの逆向き席に、「本部長」さんと座ることができた。その後発車までの間にあわててホーム上からパチリ。

ストーブ列車 津軽五所川原駅横の機関庫
有名なストーブ列車用の機関車がこれみよがしに(笑)置かれてます

 津軽21型気動車はエンジン音や内装がまったくイマドキのもの。そして、この列車は風鈴列車なのであーる! 笑
 ストーブ列車は冬の名物(でも真夏にも運行されますが、笑)、そして夏の名物はこれなのだが…

風鈴列車ご覧のとおり、クーラーの通風口に風鈴をぶら下げただけ! こんなんどこでもできるよ! 笑

 でももちろん、こういうアイディアは「思いついたもん勝ち」「実行したもん勝ち」。そういうところがまさに津鉄らしいところ。
 しばらく乗降も少なかったが、ほぼ中間に位置する金木で観光客がかなり下車。まぁみなさん、斜陽館にでも行くのだろうが、

観光などしてる場合じゃない

我々としては、それよりも、香取慎吾クンが落書きした車両や、レールの変遷の展示などに目をうばわれるのだった。
 そして隣駅、芦野公園ではプールに行くと思われる親子連れが大量に下車し、車内はガラガラに。この芦野公園、春は桜が見ものなのだが、公園も桜も、もともと津鉄自らが観光客誘致のために切り開き植樹したものだったりする。あぁ、その公園の利用のためにみんな鉄道を利用している、という、津鉄サイドからすれば

してやったり、涙モノ

で、もちろん鉄道ファンにとっても「好ましい」状態を目の当たりにできた我々だった。


Section 36-3
大沢内駅

大沢内 おおざわない 津軽鉄道 津軽鉄道線 北津軽郡中里町

 そうこうしているうちに攻略対象の大沢内。ここは一時的に終着駅だったこともあり、いろいろなモノが観られる。が、私が生まれる前の時点では既に棒線駅だったらしい。

駅舎全景駅舎
駅前通り駅前通り 商店(左手奥)以外は何の変哲もなさそうだが…
駅前の民家駅のすぐ前の民家 これ、駅前旅館だったような気が、ハゲシクします…
(しかしネットで調べた限り、ここに関する情報は1つもない)
農業倉庫?駅の横には農業倉庫だったとおぼしき建物も
待合室待合室
手小荷物はもちろん、「貨物取扱所」というところに、この地域でのかつての鉄道の地位を読み取ることができます
駅舎左側駅舎の左手には気になるつくりが…
住居跡中を覗くとそこはあきらかに住居跡
駅員が常駐していたものと思われ 昔の冬の道路事情を考えればそれもうなずける
ホーム側から駅舎ホーム側から駅舎を撮影
「猿賀様への近道」とあるが鉄道を使って訪れる人は今もいるのだろうか?
側線跡?ホームから見る、以前は側線?交換線?があったと思われる部分
藤は「開通五十周年記念植樹」
藤を植えるというのがこれまたユニークかもしれません
旧気動車貨物側線に留置された旧気動車
駅標&2ショットなかなか人為風化している(^^;;)駅標&2ショット
(撮影:「本部長」さん やっぱり人に撮ってもらうと写りもよいですね!)

 かなり日差しも暑く感じられ、汗もじわりと出てくるが、それでも風が爽やかに吹いていてとてものどかな感じ。30分強の時間を、過不足なく駅周辺の観察に費やすことができた。


Section 36-4
とりあえず完乗

大沢内 10:56→津軽中里 11:01
津軽鉄道 普通 7レ(津軽21-105)

 大沢内からは我々のほか、じもてぃなおばあちゃん1人が乗車。無論車内は空いている。
 おばあちゃんはすぐ隣の無人駅、深郷田(ふこうだ:あまり縁起がよさそうでない響き^^;;)で下車、そこからしばらく走るともう終点、津軽中里である。これで津鉄、完乗を果たした。
 津軽中里は生協購買と併設されたかなり新しい駅。時間がなかったため、トイレを拝借し帰りのきっぷ(当然、硬券!)を購入したほかはホーム上にて過ごすこととなった。

終点津軽中里駅の終端
機関車入れ換え用に、先端にもポイントがあります
津軽中里に停車中の気動車たたずむ気動車

 ここには転車台・機関庫などがあり、機関車折返用の終端もある。金木−津軽中里間は1閉塞区間で票券閉塞だが、これは1963年当時の資料でも同じである。かつては実際に続行運転もしていたことがわかる、構内配線である。

 票券閉塞は「通票自体は単線区間内を単純往復することしかできないが、通票の代わりに通券という紙切れを持った列車が、通票を持つ列車と同方向に先行運転できる」というものである。詳細は→こちらのページをどうぞ


Section 36-5
やりすぎだぞ津鉄!

津軽中里 11:10→津軽五所川原 11:46
津軽鉄道 普通 16レ(津軽21-105)

 さて、そんな票券閉塞なこの区間なのだが、通常、票券閉塞やらスタフ閉塞やらでも、その通票はいわゆる「タブレット」を用いている。しかしここ、津鉄では、まさに「スタフ閉塞」の「スタフ」の語源である、棒っ切れを通票として用いているのである!

運転席運転席
スタフかつて地方の軽便鉄道ではよく見られたが、現代日本ではここともう1箇所(名鉄築港線)だけで現役の実物!
拡大図拡大してみました 棒に無造作にはんだづけされた通票 すばらしい!

 もちろんこれ、運転中はこの手前に運転手さんが座っているわけで、こうしてその全容をじっくり眺めることはできない。これは津軽中里駅で折り返す乗客のみが拝むことが出来る御御姿なのである。いやーもうこれが見られただけでも早起きして来た甲斐があったものだ、と、すっかり駅めぐりの任務も忘れてコーフンする私だった。

 そして金木駅は、このスタフと通常のタブレットの交換風景もとくと見届けた。よく映ってはいないのだが→動画も撮影したのでぜひご覧あれ!(QT movie: 6,218,712bytes)

 金木から先も、たくさんのユニークな企画モノやネタであまりに楽しかった。

スノーシェッド津軽飯詰駅にあるスノーシェッド
これも本当に必要不可欠なものなのかアヤシゲです、笑

 この他にも、なぜかほぼすべての無人駅の待合室にピンク電話が置かれていたりして、要するに

気づく人にしか気づかれない小ネタ

がそこらじゅうにちりばめられているのが津鉄なのである。

 津鉄は、元々「買収期待で、地元資本でムリして作った」川部−五所川原間の陸奥鉄道が見事国に買収され、そこで得たお金で「さー次のお金儲けは?」ということで、やはり国鉄予定線の一部だった現区間を開業させたものである。しかし1930年に開業してみたら世は不況に、しかも沿線は冷害となり、経営は早くも大ピンチとなってしまう。すぐに合理化をしたりバス事業をはじめたりして業績を上向かせることに成功した矢先の1935年には豪雨で路盤水没、また1944年には大火で施設焼失、1946年にはまたまた大火で五所川原全施設焼失とまさに踏んだり蹴ったりな状況。ここから、沿線の観光開発や遊休地・車両の売却、バス部門売却(弘南バスへ)、工事部門を拡充して外注を避け、五所川原駅も独自に建設して国鉄への委託料を倹約、など涙ぐましい努力をした結果、なんとか持ちこたえてきた。この精神、やはりこれらの「ネタ」的な数々のモノにも反映されているのかもしれない。

 もちろん沿線風景も、そんな津鉄に華を添える(添えてるのか? 笑)。突如ひらける住宅街とか、そこらじゅうで回るモグラよけ風車(ただし「本部長」さん曰く、「こいつには賛否両論」)とか、都会の人間にはものめずらしい光景が散在しているのだった。


Section 36-5-1
五所川原で昼食

 津鉄のミニ旅を十二分に堪能した我々は、五所川原で下車して軽く散策。まずはお約束的に立佞武多の館へと向かったが、有料のためあっさり観覧を断念。1階売店にて販売されていた豆乳ソフトクリームを購入して出ようと思ったのだが、アイスクリーマの調子が悪いのか、なかなか品物が出てこない。店員さん、あーでもないこーでもないとアイスクリーマと格闘、結果、かなりぐぢゃぐぢゃな代物が出てきた。お味はさっぱりでよろしいのだが、もしかするとこの暑さと豆乳の脂肪分ではうまくできないのかもしれない。
 というわけで立佞武多の館にはよい印象があまり残らず、ふたたび駅前の格納庫へと戻り、間近&ロハにて観戦。

格納庫(としかいいようがない)先ほどの跨線橋から眺めたものとは別の格納庫
デカっ。真下から見上げると…こんな感じ!
スーパーサイヤ人? 笑なんかクレームが来て、顔を作り直したそうです。笑

 とこんな感じでたっぷりと見学できた。まぁ、ひとことで言えば

デカかった

で終わってしまうのだが、ぜひこれが夜、運行されているところをナマで見てみたいものである。

 そしてそれは2005年8月、またまた母との2人旅にて実現予定である。詳細はFeel Fine!を随時チェキしてくださいませm(__)m

 その後、軽く昼食、ということで、ラーメンかぼんじゅそばか迷っていたのだが、結局そばの方に。しかし、狙って入ったハズのお店のそばはなんか固まってていまいちだった…残念。
 テレビで高校野球をやっていたのでそれをぼーっと見ながら時間をつぶし、12時50分、ふたたび駅前へと向かった。


Section 36-6
そーだ今日は昼間の運行で道路大混乱だった、笑

五所川原駅 13:00→栄町一丁目 15:27
弘南バス青森五所川原線

 帰りのバスは五所川原発13時ちょうど。乗り込んでみたところこれがエラく旧式で、

料金表示機久々にアナログな料金表示機を見ました…

 という感じ。我々は最後部ベンチを2人で占拠し、余裕の帰還…となるはずだったのだが…
 青森駅の手前の陸橋のさらに手前で、バスはまったく動かなくなってしまった。既に14時半、本来なら「本部長」さん宅に着いていてもおかしくない時刻である。なんでだ?

…って、今日は昼間のねぶた運行ぢゃん。

 「本部長」さんが気づき、「そうでしたよね…ははははは(笑)」。今日の予定はもう夜までないので余裕でボケていられる。
 さすがにこれはよくない、との運転手さんの判断でドアが開かれる。結果、10人以上いた乗客のうち我々以外の全員が下車、貸切状態となった。青森市街や駅まで、この調子ならば歩いた方がはるかに早いのだからそれも当然である。しかし暇人な我々にとっては、この暑い中歩くよりも冷房の効いた車内に居た方がよい、というわけだった。
 その後ノロノロながらも車は動き出せ、なんとか15時15分過ぎ、青森駅前まで達することに成功。そしてここから乗ろうとするお客さんたちに「このバスは堤橋まで通過します」と宣言。ありゃりゃ、超法規で裏道経由かな、と思っていたらまさにそれで、それでOKな数人の乗客を乗せたバスは裏道をビューンと通って15時27分、栄町一丁目に到着。あぁ楽しかった。大笑
 バス停近くのたこ焼き屋でたこ焼きを購入し、「本部長」さん宅に戻った我々であった。


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海上ねぶた運行&花火大会

 この日の夕方は、海上ねぶた運行&花火大会である。昨年は場所取りして観戦したのだが、今年は地元新聞社が埠頭上にイス席&仮設トイレを用意。無論有料だが全員分を「ご招待」ということで母から出させていただき、私&母、「本部長」さん、ご母堂さま、ご母堂さまの妹さまの5人にて観戦。またまた毎度のことながらご母堂さまの手料理に舌鼓を打ちながら観戦である。

青森港の夕暮れ青森港の夕暮れ

 そして花火大会&海上運行。

デジカメでは何の工夫もしないとなかなかうまく撮れません
弘前ねぷた今年は弘前ねぷたもゲストとして海上運行
船弁慶日立の「船弁慶」
托塔天王 晁蓋板金組合の「托塔天王 晁蓋」

 今年は、このイス席部分がまさに昨年の感動的な仕掛花火の仕掛け場所だった関係上、仕掛花火がなかったのが残念だったが、しかしやはり海の遠くから「ラッセーラ、ラッセーラ」の声とお囃子が聞こえてきて、船の上でシーソーのように揺れるねぶたが近づきそして去っていく光景は感動的だった。
 ああ、ねぶた、もちろん2005年も行っちゃうぞ〜!!


今日の出費

摘 要 支出金額
弘南バス 栄町一丁目→五所川原 950
津軽鉄道 津軽五所川原→大沢内 730
津軽鉄道 大沢内→津軽中里 170
津軽鉄道 津軽中里→津軽五所川原 840
豆乳ソフトクリーム 250
ぼんじゅそば 350
弘南バス 五所川原→栄町一丁目 950
たこ焼き 210
今日の小計 4450
今日までの米沢泉美 全駅制覇累計 434215
今日までの総プロジェクト累計 643709

 ここでいう支出では、前売りの乗車券類の購入など、 本旅行中で後日行使するきっぷの購入は計上しません。そのかわり、 前もって買っておいたきっぷの行使は計上します。また、青春18きっぷ等の「複数人日分乗り放題となるきっぷ」については、1人日分の値段を計上します。割り切れない場合は、1円未満の端数分を初回行使分に上乗せします。



Written by Yonezawa Izumi <izumi@nurs.or.jp>
Last Update: 2005/05/31
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